ただの日記

日記帳

とにかくなにより”量”が足りない

質よりもまずは量

これは自分の欠点の一つなんだけど何よりも量をこなすという習慣がない。自分で言うのもなんだけど結構要領は悪くない人間なのである程度コツをつかむというのは案外早めにできるほうだと思う。そのせいなのか一つのことを極めるということをせずについついあっちへ行ってはこっちへ行き、少しつまみ食いをしてある程度のところまで至ったら見切りをつけて辞めちゃう。そんなこんなで大体のことは6,70点くらいでやめてしまうのだ。これが80点平均ならもう少し何とかなったのかもしれないけど、残念ながら器用貧乏選手権の中でも中途半端というかそこそこ器用なくらいで器用貧乏の領域に足を踏み入れてしまった貧乏貧乏なんだ。意味がわからないな。 昨日も書いたが継続する勇気というのも当然大事なんだけど、ある程度の領域から先に行くときに必要になるのはやはり圧倒的に量なんだと思う。質もまあ大事っちゃ大事なんだがそれが本当に要求されてくるのはもっと踏み込んだ後の話なんじゃないのか。そして俺の場合は踏み込むことができない。物事の入り口から少し入ったところである程度こなした段階で満足しちゃう。うーんいや違うな。満足してるんじゃなくてある程度から先の領域に踏み込んでいくのが怖いんだ。怖くてたまらない。それをこの辺までやったし俺はもう満足だわって言って言い訳しているんだろう。ある程度のライン、それを超えていくためにとかく量をこなす。そのためにはどうしたらいいのか。わからないけど根性とかではきっと挫折しちゃう。がむしゃらに何かやりつつも工夫を積み重ねていくことが必要だ。

時間配分、環境、人付き合い

人が変わる方法は3つしかない

1番目は時間配分を変える。

2番目は住む場所を変える。

3番目は付き合う人を変える。

これはあの意識の高い人たちが必ず読んでいるであろう、大前研一氏の言葉だ。あんまりこういう人の言っていることはキッツいことが多いので俺はそんなに好きじゃないんだけど。まあでもやっぱり耳が痛いことっていうのは大体当たっているというか直視したくない現実であることが多いんではないかな。今の自分にとってすぐにでもできるのは1番目だ。住む場所とかはちょっとすぐにってわけにはいかない。人付き合いは。。。まあそもそもないのでここもネットなんかでつながるように行動するだけでも結構大きく変わりそうだ。ま、それよりも仕事ができる人のいる職場にでもなんとか潜り込んじゃうのが一番コスパいいんだろうけど。やっぱそういうことかな。 それは置いといて、とにかく生活する上での時間配分を変えないと話にならない。ここで重要なのは意志の力とかいうよくわからないものに頼っちゃだめだってことだ。最近はいろんなところで意志の力単体では実はそれほど大きな効果を発揮することはできないというのが言われている。そう、人間の意志の力なんてのはちっぽけなもんだ。むしろ大事なのは仕組み、工夫だ。そういううまく回る歯車みたいなものを作ることに全力を尽くすべきだ。今の俺がすべきはそこなのだ。フリーターでうだうだやっているくらいならいっそ恥を忍んで一気にどっかの組織に潜り込んじゃうか、当然最初は使い物にならないけど、たぶん1年もすれば大きく変わっていける。現実的じゃないけど自分で組織を作るかとかもいい。これは追い詰められたらいっそのこと行けるところまで行ってしまうのもありかもね。普通に働いたほうが楽だろうけど。 ただ俺みたいにあまりにも意志薄弱だとこういう工夫することとか、仕組みを作っていくこと自体もなかなか苦しい。その過程で心が折れるなんてのも日常茶飯事だったりする。正直どうしたらいいのかわからん。ただもう最近は25にもなっちゃうしそんなことも言ってられないくらい追い詰められた感がある。のでやっぱりやっていくしかないんだろう。窮鼠猫を嚙む、俺は追い詰められた臆病なねずみだな。そこそこ基礎能力はある、と信じたいけど、くせにメンタルがカスだから何するにも中途半端でやめてしまう。いやもう基礎能力のほうも年齢の割には低くなっちゃてるのかも。でもだからこそ猫をかみ殺さなきゃならん。そうしないと俺は生きていけん。本当に死んじゃうとかじゃないんだけど、たぶんこの今というのは自分の人生的に実は大きな分水嶺になっているような気がしている。なんだか最近いろいろと節目というかタイミング的なものを感じていて、どうなんだろう、ここで逃げたら30職歴なしスキルなしおっさんの誕生まで一直線な気がしているんだ。今やるべきことは何なのだろう。一応再就職に向けて行動はしているつもりだけど、たぶん見当違いというか何か違和感もある。もっとそこのところを直視してやらないとだめなのか。

気持ち悪い

行動はしているはずなのに何か不安が付きまとってしまう。まだまだ暇なのかな。もっと自分を追い込んでいったほうがいいのか。ああ、やっぱり怖いな。現実と向き合うのが。こんなこと言ってる25歳いるか?みんなそれなりに社会経験積んで大体一人前って認められるようになってきて、中にはしっかりと働いている中で、もう家庭を築いている人もいるのに。そういう人たちがいる中に再び飛び込んでいくことに不安しか感じない。年齢はただの数字だ、なんていう人もいるみたいだ。確かにそうだ。単なる数字なんだろう。でも確実に蓄積されてきた歴史でもある。年齢っていうのはその人の道程の目安だ。社会的に判別するための一つの基準だ。自分で自分を縛る必要なんかないけど、周りは確実にその数字で判別してくる。そういう目線に自分は果たして耐えられるのか。。。認められるために必死こいてやっていくしかないんだ。ああ、こんなこと書いてる自分が気持ち悪い。気持ち悪い。そういう自意識なんか持っちゃているのも気持ち悪い。そんな感じでいろいろ書いていたら気持ちが落ち着いてきた。やっぱりネガティブな感情を吐き出すために何か書いていくのはいい。だいぶ気持ちの整理がついた。

まあとにかくやっていこう