ただの日記

日記帳

拗ねるのは地獄

類は友を呼ぶ

なんとなく。なんとなく思ったことがあって、それは大人が拗ねるのはかなりデメリットしかないということだ。いい年した大人がいじけていたり、不機嫌だったりするのを見て自分だったらどう思うのか考えた。多分かなりの確率で離れていくし、面倒だと思う。そういう人のところには誰も集まろうとはしない。あたりまえだけど、そうやって生きていくと人が集まらないから余計に変なこと考えちゃって、また不機嫌が顔に出てくる。そうするとまた、、、という悪循環。なんで悪循環というのはこうも見事に成立するんだろうか。いい流れってのは起こすまでも大変だしそれを継続させるのも大変なのに、悪循環はもう意図せずとも起きる。勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。なんて言うが、成功には再現性があんまりなくって、失敗にはものの見事に再現性があったりする。閑話休題。とにかく今の俺にはそもそも類は友を呼ぶという言葉以前に人とのつながりとかが皆無なのでこれから人付き合いというのをやっていかなきゃならないわけだけ。そういう時に自分自身の態度やら考え方やらと同じような人が周りには集まってくるんだろう。学生時代を思い出すと確かにその時々の自分の考えだったり、能力的なものだったりに比例して人が集っていたような気もしている。ああ、それほど悪い感じではなかったので、俺自身の人間性というやつは地獄絵図というほどは悪くないもんだと信じたい。実際どうなのかはわからないけど。失敗から学ぶというのは腐るほどあるのでいいコミュニティーを作っていけた人の話ばかり取り入れるだけじゃなくて、もうなんでこんなんなっちゃったんだ、みたいな人の話をたくさん見聞きしたほうがよさそうだ。大体ものすごくうまくいっている人の話をじっくりひも解いてみると、その時々の不思議な運というか、偶然みたいなものに助けられていることが多かったりするんだ。まあその運をつかむのまでもものすごい努力をしていたりするわけだけど。運、努力、才能、センス、人脈。そういうものが絡み合ったときにようやく成功することができるのかもしれない。くっだらないことで機嫌を悪くするのはもったいない。そんなんだとただでさえ陰陽で言えば陰の人間なのに周りにも陰気な人ばっかりになってしまう。もうお前らどっかの秘密結社かよ見たいな集団になりかねん。気を付けよう。

停滞、調和、不快、混沌

ついでに、さっき見たTEDの内容の感想でも書こう。簡単に言うと人は快適な状況の中では成長せず、いやそれどころかよくて現状維持、人的価値の減価償却みたいなことまで考えると衰えていく一方だという。そこで大事になってくるのが不快だと感じる場・自分の欠点を指摘してくれる師匠を持つということ。ここが一番成長する。人が置かれる環境を4段階で区別すると、停滞、調和、不快、混沌とある。停滞、これはまさに今の自分の状況かな。いや多分停滞と調和の中間くらいかも。停滞ってのは本当にのっぴきならない、何もできない状態。がんじがらめになってしまっていて、動くこともままならない。鬱とか引きこもりとか。そういう段階かな。次に調和のとれた状態。これはきっと多くの人が最も長い時間所属している段階だろう。安定していて、やったことに対する結果が予測しやすい。つまり慣れた環境に長く身を置いているわけだ。学校でも職場でも、あるいは趣味の集まりでも。自分が何かをするとどういう反応や結果が返ってくるのかかなりわかっている。快適である一方で実はとても危険もはらんでいる状態でもある。でもこういう安定したものを得ると、外に出たくはなくなるよね。そりゃそうだ。で、不快を飛ばして先に混沌。これは何だっけな。会社の合併とか自然災害みたいなことを言っていたか。いろいろと変わりすぎて自分じゃどうしようもないような状況。不快を通り越しているので成長とか言っている場合ではなく、自分の生存が重要になる。ある意味では成長できるのかもしれないけど。そもそもまじで死ぬ可能性がある状況だったりする。停滞と混沌は両極端だけど、どっちも何か積極的に選び取れるようなものではなくなってしまうのでできれば避けたほうがいいだろう。それができないから困るんだけどさ。そして最後に、不快な状況。これこそが一番身を置く効果がある。考えてみれば当然だけど、慣れ親しんだ人・場所に1年間いるのと、まったく知り合いがいないところに行って1か月過ごすのではどちらのほうが学びが大きいのかって話だ。これが行きすぎちゃうと混沌の段階にいって鬱とかになって停滞に落ちるのかな。そう考えるとベストなのはメインの場は調和がとれていて、適度に不快な状況もある。そして副業のような形で割と経験したことのないような不快な状況にあえて飛び込んでみる。みたいな感じだろうか。こうやって考えるとサラリーマンやりながらの週末起業ってのはかなり理にかなっているなあ。いざとなれば調和のとれた職場に戻ることができるから、セーフティーネットもあるわけでなかなかおいしい状況なわけだ。前提として、本業があまりにも激務だと体壊すこともあるけれど。それはそもそも本業が不快なわけなので週末起業とか無理にする必要もないのかもしれない。

快適さが人をダメにするのはなぜか