ただの日記

日記帳

大学7年生だと思うことにした

そう、しょせんその程度のちがいだ

俺は大学7年なんだと開き直ることにした。実際そうやって考えるとあんまり大した問題でもないもんだなあと思えるというか、なんでも考え方次第なんだなあとしみじみ。「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」あの有名なチャップリンの言葉らしい。そんなもんなのかもしれない。多くの人は近視眼的に物事をとらえがちなんだよな、もちろん自分も含めて。とりわけ自分がかかわる物事ともなると、なかなかどうして遠くが見えなくなる。不思議なもんで、全然関係ない人のことはもうびっくりするくらい平然と冷静とみていられるものだ。人の振り見て我が振り直せなんてことも言うが、ああなるほど、客観視とは自分ではなく他人の視線でやるものなのか。この視線を自分に対してできる人はなかなか強い。つまりかっこよく表現すると第3の目、みたいなものかな。うーん多分だけど、自分のことでも過去のこととか割とどうでもいいことなんかは結構この第3の目で見やすいだろうな。過ぎ去ったことなんかはもうどうすることもできないからどこか冷静な目で見ることができる。だからだろうか、現在や未来の総量が相対的に減ってきている大人は割と諦観しやすくなる。これは過去のデータが増えてきて類似の出来事に遭遇する機会が増えてきたからじゃないのかな。つまりある程度は予習済みのことに相対することになるわけだ。こうなるとけっこう冷静に見つめることが多くなるのかもしれない。逆に言うと新鮮味には欠けるからある意味、本気になって取り組むきっかけはどうしても減ってくるんだろう。若いころはとがっていた人も年を取ると丸くなる、みたいな感じか。ようわからなくなってきたぞ。閑話休題。こういう第3の目を意識的に持つことができるようになると何がいいんだろう。一番は余計な心配というのをしなくなるのかもしれん。俺はかなりの心配性なのでもうちょっと進むとすぐに怖くなってしまってくよくよすることが多い。これじゃ心配症というか単にメンタルが弱いだけかな。割と暇なのと、あとは現在と遠い未来の出来事を想像してしまってしり込みしているんだ。ぶっちゃけ言うと何の意味があるのか。いやない、反語ってこうだっけか?人生なんてのは人類史的に大きなことを成し遂げるためにあるわけじゃない。単に生きていくためにあるんだ。生きるために食ってかなきゃならんしそのためには金が要る。だから前見て歩いて、惰性でも何でもいいから、とにかく「生きる」をしなきゃならない。で、そうなってくるとよくわからん自意識がちょっと邪魔してくるのだ。これまたタイミングも悪くって、不詳このわたくしはあの大不評だったゆとり教育なるものどまんなかの世代である。そう、個性を大事にしなされなんて言うちょっとポエミーな教育を享受してきた年代なわけだ。正直そんなにゆとり教育に不満があったわけでもないが、やっぱりこう、自分を過剰に大切にしすぎるきらいがある、そういう教育の結果を感じることも、まあ割とよくある。でも別にそういう自意識だとか自分の個性を認めてほしい承認欲求というのは淡々と生きていくにあたってははっきり言って邪魔なわけだ。そういうのはどんなちゃらんぽらんな放蕩生活送ることになっても大丈夫な金持ちの生まれのボンボンだとか、選ばれしエリートの集団にでもあったらかなーりいい働きをしてくれるだろう。でもでも俺みたいな小市民にはこう苦しいんだ。これは。あんまりないほうが身のためというか、あって得したことは、ほぼないな。だからこそだ、なんでもない俺を第3の目で見つめつつも淡々となんでもない日常を踏みしめていければ、たぶん今よりもかなり違った景色が見えてくるはずだ。淡々と、日常を、見つめ歩いていく。とかいう多分凡人にとっては結構クレイジーな難しい目標を立てちゃったりして。

実はこのブログも淡々と続けてこれたことかもしれない

これは、、、どうかな。そう思いたきゃそうなんだろうけど、一か月ほとんど更新していない月もあったので本当の意味で積み重ねてきたものとは言えないかも。でもつい先日このブログというか日記帳をボケーっと眺めていたんだが、なんでだろうか、妙な充実感があった。あ、この時はこうやって考えていたのかとか、この時に比べれば少しは気持ちも行動も前進しているな、とか。そういう振り返りにもなったと思う。記録を取るって実はかなり強力な第3の目を作る訓練になるんじゃないかなあ。特に毎日少しでも日記を書き続けることができると多分もっともっと客観視の下地ができてくるのかも。知らんけど。まあ正直ここ数日書いている2000字くらいの長めのポエムというか感想文というか、そういうものだけじゃなくて単に今日はこれこれこういうことがあった。楽しかった、とか疲れた、とかそういうものでもいいのかな。どうもここ最近はこうやってつらつらと書き記すことで自分の心にたまってた毒素みたいなものを吐き出している感じがする。だから義務感とかではなくって、結構楽しいから書いている節がある。というかこうやって書かないとなんか溜まりに溜まって変になりそう。いや別にそこまででもないかな。何だったかの研究ではネガティブな感情は何でもいいから書き出しているとかなりストレスの軽減につながるらしい。意外だけどネガティブな感情を書くことで気持ちの整理ができるのかもしれない。これも淡々と記録していくことによって自分の嫌な感情、それを起こした出来事を遠くの目で見つめることができるからなのかな。ああなんかいい感じに気持ちよくなってきた。今日はこれで終わり。