ただの日記

日記帳

継続と変化と

中身のない単なる日記だと閲覧数はこんなもん

普段あんまり見ないはてなブログのトップページを開いてみたらこんな記事が

「知らない人にブログを読まれるのが不安です」ひっそり日記を書きたい人へ〔はてなブログお悩み相談室〕

なるほど。まあそういう気持ちはわかるし私も最初は恥ずかしい気持ちはありました。でも実際書いてみるとわかりますが、そもそも個人ブログなんて大して読まれません。だってはてなブログのトップページに出てくるような面白いものとか、有名な人が書いてるものとかくらいしか読まないでしょう。だって自分がそうだからね。そんな有象無象が書いているような中身のないブログという名のらくがき帳なんざ、人生の大事な時間浪費してまでよみませんわ!

大勢の人に注目される文章ってのは有用性があったり、話題性があったり、あるいは特に役に立たなくてもなんかもうエモい内容で涙ちょちょぎれるみたいな文才やらセンスが無いと書けません。それ以前に継続自体も難しいですしね。大抵の人はブログなんて書くのめんどくさくなってやめるでしょ。TwitterとかInstagramとかTikTokのほうがいいじゃん!そのほうが単純に楽しいと思います。有用性のある内容を書くにはいろんな文献とか用意して構成とかもいろいろ読みやすいように考えてとかで、多分クッソめんどいでしょう。3日と持たない自信がある。

1年でやっと1000超えるくらい

で、そんなめんどくさがりが気の向くままに書いているブログという名の日記帳のアクセス数はこちらです。久しぶりに見たら累計1000超えててちょっとびっくり。

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このブログの閲覧数。一年でこれですからね

それでも最近は月100くらいのアクセスは超えるようになってきまして。滞在時間はおそらく一瞬なんでしょうけど。でも逆に言えばなんだかんだ1年で50記事弱位書いてきても普通の人だとこれくらいなわけです。だもんで読み応えのある中身のぎっしり詰まった薄皮アンパンくらい重たい生地を量産しまくるとか、自分の文才に絶対的な自信があるという人だとか以外は、よっぽど個人情報特定されそうなことでも書かなければ大丈夫だと言えます。もしかしたら私のブログが異常なまでに見られていないとかであれば違うのかもしれないけど。。。そんな感じのことを思った次第でございます。

継続の先に

閑話休題。昨年末に書いたこの記事の中で、新しいことを始めて、継続してということが結構大事だなあ。でもそれだけじゃなくて、継続のさらに先にもう一歩なにかありそうだ。とかいうことを書いたわけだけど、ここ数日も時々そのことについていろいろと考えを巡らせていた。

最初は継続と挑戦、みたいなものかなあとか思っていた。でもなんかしっくりこないんだよなあ。挑戦して継続して、挑戦して継続して、、、うん確かにすごくいい感じだ。でもこれだとなんか一方向って感じがする。ちょっと単調な感じ。結局はただの言葉遊びなんだけど、挑戦というよりも変化という言葉のほうが個人的にすごくしっくり来た。まあ何でもいいんだけど。去年の秋頃からいろいろなことに挑戦してはそれを一定期間以上、具体的には最低2週間位は続けるようにしている。最初のうちは大変だったんだけど、こういうことを2,3ヶ月と続けていくにつれてかなり継続することにも慣れてきた。でもなんか物足りないと感じることも。

なんでだろう。多分、多分だけど挑戦する内容というかジャンルが結局は似たような内容ばかりで、実際は大した変化が得られていないんじゃないのか。 多分小手先だけ変えてちょっとした満足感を得ちゃってるんじゃないのかと。いや別に悪いことではなくて少しづつでも前進してるんだし、何もしないより100億万倍マシなんだけど。 それでもこの継続しきった先にもう一歩前に進んで行くために本当にぜんっぜんやったことのないことをやっていってさ、人生に変化を入れていきたいところだ。やっぱり変わるってのは怖いけど、でもずーーーっと同じようなとこにいてコンフォートゾーンだっけか、そういう場所に居続けるのはもう飽きたんや、たちばなくん。せらさん好きだわあ。桐谷健太ってあんな感じの演技もできるとは知らなかった。ずっと浦島太郎のイメージしかなかったし。まあ、そんな感じで。もうねよ