ただの日記

日記帳

今日は寝てばかり

なにかと眠くて15時間くらい寝ていました。

こういう日があってもいいよね。でもまだ眠いという。15時間くらい寝ると逆に1周してさらに眠くなる。頭が全然働いてない感じ。

どうでもいいけど「はた」って入力しただけで「働きたくないでござる」が候補に出てきて自分の気持ちが非常に正直に出ていると思いました、まる

amazarashiの『ヒーロー』という曲がすごくいい

amazarashi(アマザラシ)というバンド

普段はあんまり音楽とか聞かないんですが、先日知り合いからとあるバンドのライブチケットをもらったことがきっかけで少しファンになったバンドがあります。

 

youtu.be

 

 

マンガ好きな人は知ってると思いますが、『東京グール』だとか『僕のヒーローアカデミア』のアニメの曲や各種コマーシャルなどを手掛けてたこともあるわりとメジャーなバンドですね。私ももともと名前だけは知っていました。顔出しはしない謎多き集団です。

あんまり詳しくは知らないんですがこのバンドのヴォーカルである秋田ひろむさんという方、実はミュージシャンとしては一度思いっきり失敗しているんです。青森県出身で多くの若者と同じようにメジャーデビュー夢見て若き日に東京に出てくるも、なかなか日の目を見ることなく結局は一度夢をあきらめてしまい、いちどは青森に戻ってしまうという、、、なんだか私みたいな社会のゴミ溜め人間には非常に共感の持てる経歴をお持ちです。

 

その後紆余曲折ありつつも上記のようにテレビで曲が採用されるほどにメジャーな感じで活動されるという所まで立て直すところは才能なんでしょうか。ともかく多くの人に指示される楽曲を作ることのできる方なわけです。顔出しもしないのである意味純粋に音の力が強いミュージシャンといえるのではないでしょうか。

 

「何者」にもなれなくても

で、彼らの曲は何となく「暗い」んですよ。いろいろと紆余曲折あったからなのか、もともとこういう歌詞を書く人なのかわからないんですけど。でもそれこそちょっと屈折した人間だったり、あとはちょっと思春期的な心を持っていたりする人にとってはかなり刺さる歌詞を歌い上げるんです。ただただ明るくて前向きで、青春を歌っていたり恋模様を表現したりする曲もそれはそれでいいんですけど、いかんとも自分には刺さらない共感できない。そんな人にはピッタリかもしれません。ある意味大人になり切れない人間なのかもしれないですが。

 

そんな中でも冒頭にリンクを張った『ヒーロー』という曲にはとても胸打たれました。PVもそうなんですが、歌詞が本当にじわじわとくるやつです。YouTubeにも歌詞の全文あるのでそのままここにコピペ

 

ヒーロー 作詞・作曲 秋田ひろむ

 

食欲がないもんだからさ 別に小銭がない訳じゃないんだよ

君の横顔を見ていると そういう事を言いたくなるんだよ

もしも明日世界の危機が来て 僕が世界を救う役目だったら

頑張れるのにな かっこいいのにな なんて空想だ なんて空想だ

 

そしたら

僕の亡骸 君が抱いて 泣きながら

「やれば出来るんだね」って 呟いて

 

いつだってヒーロー 笑われたっていいよ

人生は喜劇の 一幕の様なもんだろ

「ここはまかせろ」 とは言ったものの 

どうすりゃいいんだろう 断崖のヒーロー

 

なんて言っても世界の危機なんて そうそう来るもんじゃないんだけど

それなりの人生の危機ってやつは 僕なんかにも訪れるもんで

孤独になっても夢があれば 夢破れても元気があれば

元気がなくても生きていれば 「生きていなくても」とかあいつらそろそろ言い出すぞ

 

そしたら 絶体絶命の危機の淵で

起死回生の一撃は きっと怒りか悲しみだ

いつだってヒーロー 殴られたっていいよ 

垂らした鼻血の色 田舎の根雪の白

連敗続きの 擦り傷だらけの

挑戦者気取りの 断崖のヒーロー

 

小銭数えて 逆算する人生も

追いつめられて 首括る人生も 

もうよく聞く話しだ 驚かないよな

今が世界の危機かもね 誰も選んじゃくれないけど

頑張れるかもな かっこいいかもな ここでやれるんなら 今がまさにそうだ 

どうせ「世界よ終われ」と願っても 世界はくそったれのまま 続いてく

 

誰だってヒーロー そんな訳はねえよ

いわゆる掃き溜めの ありふれた有象無象

そこで負けねえと 言ったもん勝ちの

よくある強がりの 「いつだってヒーロー」

絶体絶命の 絶望的状況

それでも言い張るよ いつだってヒーロー

 

日常における『ヒーロー』ってなに?

テロリストだとか暴漢に襲われる人を颯爽と助ける自分、自己犠牲の精神を発揮してかっこよく死ぬ自分。想像したことはありますか?私はあります。そしてそんなことは大体起きないし、仮に起きたとしてもまあ何もできずに死ぬでしょうね。

どうせ起きないことを想像して妄想して、でも実際起きたら何にもできない非力な自分がいます。でもそんな状況でかっこよく死ねたら、きっと今みたいなクソみたいな人生をダラダラと過ごしていくよりもかっこよく人生を全うできるんでしょうね。そんなこと起きませんけど。

 

ああでも、そんなに劇的なことは起きないけど、だれにでも自分の人生の転機くらいは来るものです。きっとそんなとき周りの人たちは無責任に励ましの言葉を送ってくるんでしょう、終いには別に死んだっていいじゃないか、それで人生全うできるんならなんて言い出すんです、他人ごとだからね。

 

だいたい人生において劇的なイベントなんか起きやしない。人一人自分の人生犠牲にしてでも事件を起こしても、それでも世界は変わらないです。無敵の人とかね。彼らもきっと「こんなくそったれた社会なんてめちゃくちゃにしてやるっ!」って思っていたことでしょう。世の中が変わらないと分かっていても生きていていいって思える場所だってありはしないんだから。どうなったっていい。

 

ああだからこそ、こんなくそったれな世の中だからこそ頑張ってみよう。どんだけありふれた人生でも、生き抜いて踏ん張って、何者にもなれなくったって、自分が自分の人生のヒーローであり続けてみよう。それがきっと自分の『ヒーロー』なんだって思う。

 

 

 

とかね。思ったりしましたよ。

クッソ恥ずかしいポエムみたいなこと書いちまった。まああああねえええええ、こういう気分の時もありますよ。そんな感じです

モンテクリスト伯が面白い

この前ディーンフジオカがモンテクリスト伯で主演してたの見て、久しぶりに原作小説を読み直しています。モンテクリスト伯、原作、アニメ(タイトルは巌窟王だけど)、ドラマといろいろあっていいですね。

あやふやな記憶の中読んでいて思いましたが、これカドルッスはそんなに悪くないんじゃないの?酒飲んで騒いでただけじゃねえか!ダングラールとナポレオンだよ、悪いの。ダンテス君も船長の頼み事聞かなきゃ、かわいい幼馴染と結婚して若くして船長になってめでたしめでたしだったのに。

アニメもまた少し見ようかな、中田譲治好きなんすよ。

キルケゴールにシンパシー

家にあった本読んでたら面白くて一気に読み進めてしまいました。哲学入門って本。

もともと大学入試でも倫理とかやってたし名前だけは結構知ってたんですけど、実に面白いエピソード満載でとてもよかった。で、その中でもキルケゴールという人物がなかなか痛々しいというか、まさに今の自分を見ているようで突き刺さりました。あなたこんな人間だったの?永遠の中二病みたいな感じじゃない。

 

 

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キルケゴールデンマーク出身の哲学者。実存主義の祖と呼ばれている。

実存主義」とは実存する具体的な人間に焦点を当てて哲学をすること。

それまでずーーーーっと長い間たくさんのえらい人たちが「人間とはどうやって生きるべきか」みたいなことを考えてきていたわけだけど、それは社会全体としてどうするのかという視点だった。時代的に、個人個人がそもそも生きるのに必死だったり、社会システムそのものがまだまだ未熟でそっちに焦点を当てる必要があったからだ。

 

でも、キルケゴールが生きていた19世紀ともなるとヨーロッパでは産業革命が起こった。産業が発達して社会が豊かになり、社会の規模が爆発的に大きくなった。

単純に生活の面だけで見ると、まあ安定する。わけだけど、そうすると困ったことになって、「個」は完全に社会に組み込まれてしまった。「社会の歯車」の誕生なわけだ。それまでだって社会の歯車というか奴隷みたいな人たちもいたんだろうけど、そういう人たちは生きるのに精いっぱいだったので「生きるとは何か」なんてことを考える余裕なんてなかったんだろう。生活に余裕がある層は貴族とか王族とかの上流階級だったから個人としてのアイデンティティなんて別に悩む必要もなかったのかもしれない。自分たちは特別で、生きてること自体にに価値があるってナチュラルに思ってるやつらだ。

 

ただし幸か不幸か、社会が巨大化するにつれて一定の水準での生活が保障された結果としてけっこうな余暇ができてしまった人も出てきた。その一方で、社会の歯車としての役割しか与えられずに、結局何のために生きているのかなんてことに悩む人々が出てくるようになった。

生粋の上流階級に比べたら自身の社会的な役割なんてたかが知れている。「個」としての価値が見えにくくなっていた。こんな時だからこそ、社会全体だけではなく個人としての人間の在り方にフォーカスして哲学する必要性が出てきたというわけだ。

 

 

みたいなことがあったらしいです。本の意訳ですけど。そんな時代にキルケゴールは生きていたんですが、この人もう本当に自意識の塊というか、今風に言うと真面目系クズです。さすがにそこまでではないのかな。

父親に「(俺が神様の機嫌損ねるような生き方してきたから)34歳までには死ぬわお前」とか言われたり、24歳の時に14歳の女の子にプロポーズしたり、しかもその後3年たってその子と婚約することになったのに、今度は自分から婚約解消したり。フラフラと定職にもつかずになかなかヤバいっすこの人。

そんなこんなでいろいろあって、悩んで悩んで悩みぬいて最後には

「絶対者である神が無駄なものを作るわけがない。その神を信じきることによって自身の存在価値を認める」といった生き方をすることになりました。あれっすね、「お前を信じる俺を信じろ!」的なやつ。自分を直接肯定してやることはなかなか難しいから、強力な象徴的存在に間接的に認めてもらって生きよう!ってことですか。

 

まあこの辺の難しいことは別にいいんです。それよりもここに至るまでの過程ですよ。

この本の中にも書いてあったんですが、キルケゴールの自立心の甘さみたいな部分、めっちゃ刺さりました。もうまんま自分の事やん!って感じ。キルケゴールは24の時はほぼニート。一応その後数年して文筆家として食っていけるようになったみたいですが、まあいろんな葛藤があったようです。

本の著者の人も似たような感じで大学7年生までやってたと。私も就職したくなくて大学は5年いて、結局今もフリーターやりつつ就活ですよ。こう、なんでみんな同じような感じで「働きたくないでござる」を体現してるんですかね。

共通しているのは実は根はマジメ、けど腹をくくるほどの覚悟がないからダラダラと社会的責任から逃げちゃうってところです。この辺も本にそのまま書いてるんですけど。そうなんだよ、無職でも一切構わなくて今が楽しけりゃいいみたいな生き方もできないんです。かといって就職するのも正直怖いし面倒だし。夢を全力で追い求めるほど努力もしてないし。そもそも私の場合は目標すらないわけですが。

そんなこんなで彼にシンパシー感じましたね。彼はなんだかんだ哲学者として名前を歴史に残したので自分と比べるのもおこがましいですが、こういう人もいたんだし、自分の人生もけっこうなんとかなるかなと思えました。