キルケゴールにシンパシー
家にあった本読んでたら面白くて一気に読み進めてしまいました。哲学入門って本。
もともと大学入試でも倫理とかやってたし名前だけは結構知ってたんですけど、実に面白いエピソード満載でとてもよかった。で、その中でもキルケゴールという人物がなかなか痛々しいというか、まさに今の自分を見ているようで突き刺さりました。あなたこんな人間だったの?永遠の中二病みたいな感じじゃない。
キルケゴールはデンマーク出身の哲学者。実存主義の祖と呼ばれている。
「実存主義」とは実存する具体的な人間に焦点を当てて哲学をすること。
それまでずーーーーっと長い間たくさんのえらい人たちが「人間とはどうやって生きるべきか」みたいなことを考えてきていたわけだけど、それは社会全体としてどうするのかという視点だった。時代的に、個人個人がそもそも生きるのに必死だったり、社会システムそのものがまだまだ未熟でそっちに焦点を当てる必要があったからだ。
でも、キルケゴールが生きていた19世紀ともなるとヨーロッパでは産業革命が起こった。産業が発達して社会が豊かになり、社会の規模が爆発的に大きくなった。
単純に生活の面だけで見ると、まあ安定する。わけだけど、そうすると困ったことになって、「個」は完全に社会に組み込まれてしまった。「社会の歯車」の誕生なわけだ。それまでだって社会の歯車というか奴隷みたいな人たちもいたんだろうけど、そういう人たちは生きるのに精いっぱいだったので「生きるとは何か」なんてことを考える余裕なんてなかったんだろう。生活に余裕がある層は貴族とか王族とかの上流階級だったから個人としてのアイデンティティなんて別に悩む必要もなかったのかもしれない。自分たちは特別で、生きてること自体にに価値があるってナチュラルに思ってるやつらだ。
ただし幸か不幸か、社会が巨大化するにつれて一定の水準での生活が保障された結果としてけっこうな余暇ができてしまった人も出てきた。その一方で、社会の歯車としての役割しか与えられずに、結局何のために生きているのかなんてことに悩む人々が出てくるようになった。
生粋の上流階級に比べたら自身の社会的な役割なんてたかが知れている。「個」としての価値が見えにくくなっていた。こんな時だからこそ、社会全体だけではなく個人としての人間の在り方にフォーカスして哲学する必要性が出てきたというわけだ。
みたいなことがあったらしいです。本の意訳ですけど。そんな時代にキルケゴールは生きていたんですが、この人もう本当に自意識の塊というか、今風に言うと真面目系クズです。さすがにそこまでではないのかな。
父親に「(俺が神様の機嫌損ねるような生き方してきたから)34歳までには死ぬわお前」とか言われたり、24歳の時に14歳の女の子にプロポーズしたり、しかもその後3年たってその子と婚約することになったのに、今度は自分から婚約解消したり。フラフラと定職にもつかずになかなかヤバいっすこの人。
そんなこんなでいろいろあって、悩んで悩んで悩みぬいて最後には
「絶対者である神が無駄なものを作るわけがない。その神を信じきることによって自身の存在価値を認める」といった生き方をすることになりました。あれっすね、「お前を信じる俺を信じろ!」的なやつ。自分を直接肯定してやることはなかなか難しいから、強力な象徴的存在に間接的に認めてもらって生きよう!ってことですか。
まあこの辺の難しいことは別にいいんです。それよりもここに至るまでの過程ですよ。
この本の中にも書いてあったんですが、キルケゴールの自立心の甘さみたいな部分、めっちゃ刺さりました。もうまんま自分の事やん!って感じ。キルケゴールは24の時はほぼニート。一応その後数年して文筆家として食っていけるようになったみたいですが、まあいろんな葛藤があったようです。
本の著者の人も似たような感じで大学7年生までやってたと。私も就職したくなくて大学は5年いて、結局今もフリーターやりつつ就活ですよ。こう、なんでみんな同じような感じで「働きたくないでござる」を体現してるんですかね。
共通しているのは実は根はマジメ、けど腹をくくるほどの覚悟がないからダラダラと社会的責任から逃げちゃうってところです。この辺も本にそのまま書いてるんですけど。そうなんだよ、無職でも一切構わなくて今が楽しけりゃいいみたいな生き方もできないんです。かといって就職するのも正直怖いし面倒だし。夢を全力で追い求めるほど努力もしてないし。そもそも私の場合は目標すらないわけですが。
そんなこんなで彼にシンパシー感じましたね。彼はなんだかんだ哲学者として名前を歴史に残したので自分と比べるのもおこがましいですが、こういう人もいたんだし、自分の人生もけっこうなんとかなるかなと思えました。