ただの日記

日記帳

「嫌い」は「苦手」くらいにはなる。でもそれだけ

食べ物の好き嫌いがあまりない方だ。正確に言うとどうしても食べられない食べ物(口に含んだりにおいをかいだりするだけでおえってなっちゃう)を一つ一つ、つぶしてきた。小学校の給食で出てきたおからは、あのぱさぱさと独特の風味が苦手でマジで吐き出す5秒前な状態になりながらも、汁物というリーサルウェポンを使うことで残さず食べた。気づけば好きにはならなかったけど苦も無く食べられるようになった。なめこ汁に代表されるヌルヌルな食べ物も、体にいいからという自己暗示をかけ続けることでいつの間にかそこそこおいしく食べられるようになった。苦手意識があったものの多くは、食べてみたら大したことがなかったように思う。大人になるにつれて味覚が変化してきたというのも、あるのかもしれない。

 

でも苦手意識ではなく、本当に嫌いな食べ物はやはり好きになることは難しい。昔からどうにも貝類をあまりおいしく感じない。「普通」ではなく「苦手」だ。もともとは食べることもできなかったと思う。カキやホタテを食べて「おいしい~~~!」とか食レポしているのを見ても別にうらやましいとも思わない。むしろ生ガキとか食中毒が怖すぎるんだが、なんであれをパクパク食うことができるんだ…?

基本的に出された食事は体調が悪いとかでない限りは残さず食べる主義なので、食卓に貝類が降臨した時には黙々と食べてきた。でもいつまで経ってもおいしさは分からない。なんというかどうしても苦手なままだ。食べ続けていればいつかはおいしさに気付けると思っていたが、自分の味覚的にはこのくらいが限界のようだ。

 

嫌いなものが好きになるってのはほとんどないんじゃないか。自分が勝手に嫌いだと思ってただけの、苦手意識ぐらいなものであれば好きになることも結構あるだろう。それって何も向き合ってないんだから本来は好きも嫌いもないのだろうから。けれども何度か向き合ってみて、それでもやっぱり好きになれないものって、どうしても存在する。何度も貝を食ってきたけど、苦手なものは苦手だ。これはどうしようもない。

だから好き嫌いをするなっていう考えはちょっと変だと思う。好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌いだ。個人差があって当然。むしろ自分の好きや嫌いがはっきりしていた方が、嫌いなものはないけど熱中できる好きなものもあまりない、という人よりも断然生きやすいんじゃないのか。なにせ好きなこと、得意なことは伸ばそうと思えばいくらでも伸ばせる。それで稼ぐことだって、運が良ければできるかもしれない。逆に嫌いなことを頑張っても、ちょっと苦手だけどまあ人並み、ぐらいにしかならない。

 

だから好き嫌いを無くそう!ではなく、好き嫌いをハッキリさせよう!という考えでいた方が案外幸せになれるのかもなあ、とホタテを食って思った。やっぱ苦手だわ。