ただの日記

日記帳

ポプテピピックと僕のヒーローアカデミア

2月も終わる。中旬から始めたアルバイトにも少しずつ慣れてきた。とにかく脱ニートの第一歩を踏み出すことができた一か月であった。次の一手だけど・・・うーん、あんまりやる気満々って感じではないなあ。ただこの状況で2番目にまずいのはなまじっか最低限の生活が保障されている分、実家でのフリーター生活で満足してしまうってことだ。(そういえばNHKにようこそ!でもこんなセリフがあった気がする)実際近くにそういう境遇の知り合いがいるけど、そうなると心理的になかなか抜け出すのが難しくなる。そうなる前にもう一歩前に進みたいもんだ。1番まずいのは当然ニートに戻る事、なんだけど仕事はなんだかんだ負荷が少ない(特に人間関係のストレスがほぼないのがいい)のでたぶんそれは回避できそうだ。

3月中に何か一つやろう、何でもいいから始めようと思う。

 

さてさて、どうでもいいことを思いついたので書いてみよう。現在絶賛放送中の大人気(クソ)アニメ、ポプテピピック。色んなパロディネタが超豪華ちらし寿司の具材のようにふんだんに盛り込まれているが、正直元ネタなんて半分以上はよくわからない。でも元ネタが分からなくとも、なんだかいいなあなんて思ったシーンがいくつかある。その中の一つがアニメ第一話、かのウルトラヒット作「君の名は」のパロディシーン。ピピ美(背の高い方)が「あんたの名は?」とポプ子(背の低い方)に語りかける。そのあと若干溜めてからの「俺は俺だああああ!」というポプ子の絶叫。なんだか心に響く。なんでこんな気持ちになったんだろう。

たぶんそれは「自分は自分、他人(ひと)は他人」という強烈な自己認識の力を感じ取ったからだろう。なにぶん大卒からのニートやらフリーターという、社会の一般的なレールからのドロップアウトなんて経験してしまうと、どうしても他人と自分を比較してしまいがちだ(その結果が自己嫌悪であったとしても)。でもこんなことをする意味はない。「俺は俺」なんだから自分と他人を比較したって意味なんてないのだ。これは決してきれいごとを言っているのではなくて、比較する対象が違う、という至極現実的なことを言っているのだ。そもそも自分と他人ではどんな似通った性質をもった人間であっても、やはり違う存在だ。一定の条件も事前に用意して、その評価軸の中で比較するのであれば、確かに比べる意味もあるのかもしれない。でも究極的に等身大の自己と比較する対象っていうのは、やはり過去や未来の自分自身でしかないんだと思う。

なんだろう、このことを単なる理屈だけではなく、何というか心でストンと腑に落ちる形で納得できるかどうかというのは結構大切なことかもしれないなと思う。他人と比較しても前提条件が大きく違っていたら、劣る部分がいっぱい目に付く事も多いだろうから、きっと苦しい。そんなことしても現実の自分はちっとも変わらないんだし、むしろ気持ちがダウナーな坂を転がり落ちていってしまう。それよりも昨日の自分と比べて前に進んだのか、未来の理想の自分と比べて少しでも近づいて行っているのか、それを考えたら必要以上に落ち込まなくって良い。

 

で、こんな感じの事を考えていたらなぜか週刊少年ジャンプの人気漫画「僕のヒーローアカデミア」を思い出した。俺の脳みそはどうなってるんだ。これもちょっと考えてみよう。おそらく「自分は自分」という強い自己認識、という部分から連想したんだろうが、それはどの部分か。思いついたのは作中に出てくる主人公の師匠的存在、オールマイトだ。あとはその能力である「ワンフォーオール」。この辺かな。

とにかくこのオールマイトは筋骨隆々で笑顔が素敵なパワフルナイスガイだ。この人物、みんなの絶対的なヒーローなわけだけど、市民のピンチの場に駆け付けた登場のシーンで必ずこう言うわけだ。「私が来た!」と。色んな目的があるんだろうけど、やっぱり強烈に自分が確立できているからこその「わたし」なんだろうな。ほかの誰でもない自分がいる。そういう気持ちの上で発せられるからこその重みがあるんだ。この自己認識がしっかりできているからこその彼の能力「ワンフォーオール」があるのだろう。これは単純に身体能力がアップする的な、まあシンプルに強いタイプの超能力なわけだけど、だからこそシンプルに強くって作中では最強クラスの力を発揮できる。対して弟子である主人公はまだまだこれを使いこなせていない。ストーリー上色々な理由が見えてくる。一番大きな原因はやっぱり肉体的な部分なんだろうけど。でも心の面でいえばこの「俺は俺だ」っていう意識がまだまだ確立できていないっていうのは大きいんじゃなかろうか。まだ高校1年生?くらいだししょうがないけどさ。まあとにかくこんな感じで思ったのが一つ。

で、もう一つ連想したのが「ワンフォーオール」という言葉。正確にはone for all, all for oneかな。これはもともとラグビーの言葉だったみたいだ。高校のころ友達がラグビー部に入っていて、この言葉の意味を教えてくれたことがあった。曰く「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」だそうだ。個々の個体は全体(社会・会社・組織など)のために力を発揮、団結する、そうして形成された集団・組織がある一つの大きな目標達成のために行動する、といったところだろうか。当然だけどこれの一番最初にあるのは個人だ。「俺は俺」だからこそ、異なる他者と協力して大きな集団を作ることができる。まず大事なのは自分だ。自分がはっきりしない、自分が分からない、本当の意味で自立ができない、こういう人が果たして本当に「ワンフォーオール」ができるだろうか。べつに特別なことをする必要はなくてありのままの自分を認識すること、いいところもダメなところも受け入れること、こういうのが社会を形作る第一歩なんだろう。

 

ということで3月もぼちぼち「自分」らしくやっていこう。