ただの日記

日記帳

非モテも極めたら脱非モテにできるからその他大勢は結局救われない

なんかモテとか非モテとかの話

gendai.ismedia.jp

 

これなあ、この話題に関しては日本も他人ごとではいられない。っていうか私自身非モテな部類だし、仕事もまともにできてないので予備軍かなあとか思ってますけど。

あの秋葉原の事件とか、この間の新幹線の事件とか。必ずしも非モテというものだけが原因というわけではないとは思いますが、それでも他人からの金銭のやり取りなしでの承認を得られていないというのは結構大きな問題だろうなと思います。

で、まあ難しい社会構造の話とか自由恋愛至上主義の抱える問題点とかは置いておくとして、非モテ達が自主的に持つ「非モテ非モテによる非モテのためのコミュニティ」というのが結構めんどくさい性質を抱え込んでいるのでは?とか思っていることをつらつら書いていきたい。

 

働きアリとかミツバチとか、社会性を持つ昆虫はみんな働き者だと思っていた。でも実際はそうじゃなくて2:6:2の割合で社畜グループ、そこそこグループ、怠け者グループに分かれているらしい。じゃあ働き者の個体群をまとめたらめちゃんこスゴイことになるんじゃあないか?と思うんだけど、2割の社畜グループをまとめるとその中でもまた同じ割合でうまいこと分かれていくらしい。「働かないアリにも意義がある」だったかな。そんな本で読んだ。

これは非モテ界隈にも言えるのではないのか?学校だとか会社みたいな色んなの属性を持った人間が一堂に会する場では分かりやすくモテ、非モテが階層で別れるだろう。身体的に優れた者、喋りがうまい奴、あざとく獲物を狙い続ける肉食系、などのわかりやすい面子がヒエラルキーの上位を独占する。モテの独占禁止法だあ!自分にも男を・女をあてがえええい!なんて叫んでもそんなものはクソの役にも立たない。じゃあ、非モテ非モテ界隈で固まろうじゃないかといって非モテコミュニティーなるものを作ってみても結局はその価値観に一致する形でのセックスアピールができたものが脱非モテができるのではないのか。

例えば性体験がないことをことさら面白可笑しく語ることのできるもの、オタク的な趣味で花開くもの、その界隈で非モテとしての立ち居振る舞いが洗練できたものにだけその中で甘い蜜を吸うことのできる権利を獲得することができるのだ。

そうなれなかったものの集まり、つまり非モテエリートたちの集いが「インセル」や「無敵の人」たちなのではないのか、そういう人間の逆襲が各国で始まっているのではないか・・

 

なんていう事を考えていました。眠いので寝ます。

季節の匂い

雨の匂い、夏の匂い、冬の匂いなどなど、いろんな匂いがあると思う。おとといくらいに本格的に夏の匂いがし始めた。新潟は天気予報だとまだ一週間くらいは梅雨らしいんですけどね。7月になって暑さも本格的になってきたし、もうすぐ蝉の声とかもうるさいくらい聞こえてくるんだろうか。

夜とかカエルの鳴き声がすごいうるさかったけど、最近はあんまり聞かなくなったし、ついにクーラー使い始めたし、そしてついには7月になったし。熱中症とか気を付けて過ごそう。

だいたいの奴は何かに依存してるかもしれない説

ガチな断酒の奴、全日本断酒連盟

http://www.dansyu-renmei.or.jp/index.html

 

 

お酒が好きです。ビール、日本酒、ウィスキーとかを中心によく飲んでいます。ただねえ、カネが無え。それにアルコールにもあんまり強くないもんで、日々飲んでいると体調が少し悪くなったりします、おなか痛くなったりする。まだね、痛風とかは大丈夫ですけど、20代でこれは今後が心配だなと。ちゅうことで現在週5くらいでお酒飲んではいるんですけど、もう今日からしばらく禁酒します!ってなればいいんすけどね。実家暮らしで親も結構酒好きなもんだから、常備してあるんですよ。しかも私がお酒飲むのには結構寛容なんです。飲みたきゃ飲めよって感じ。禁酒がなかなか難しい環境であります。なので意志の力とかいう薄氷を履むが如きものに頼らずに、もう少し別ベクトルからアプローチしてみようかと思います。

 

HALTを避ける

まず今の自分の状況は冷静に考えるとアルコール依存症予備軍かなと。飲まないようにしないと、お酒控えないと、なんて考えては気づけばアルコール飲料の入ったやつをプシュッ!っとやっとるわけですよ。どうしたもんじゃろな~って悩んでたら、この間本屋に行ったときにたまたまアルコール依存症の人についての手記があったので、パラパラっと読んでみました。んで、その時にHALTという文字が目に入ってきました。HALT(ハルト)とはアルコールや薬物などに依存しやすくなってしまう状態の頭文字をとったものです。

  • Hungry お腹がすいているとき
  • Angry 怒っているとき
  • Lonely 孤独なとき
  • Tired 疲れているとき

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ああ、これはHungyとTiredが結構当てはまってるかもしれないな。バイトの時間が微妙なもんで、どうしても夜帰宅してからおなかすいちゃってて、空腹感からついついお酒に手が伸びちゃうことがある気がします。疲れは・・大した仕事してないですけど、なんでしょうね、妙なけだるさは常にあるみたいな。やる気のなさが体に表れているのかな。逆に適度な運動とかして交感神経?的なのを刺激した方がよさそうです。怒ったり孤独を感じたりはということは現状それほどないので、それは大丈夫かなあ。

空腹感何とかするってのは帰宅前に軽くなんか飯食ってから帰るようにすればいいとして、問題は疲労感、倦怠感です。これなあ、睡眠時間もうちょい確保したりとか、さっきも書いたけど軽く運動してみたりとかしたらいいのか。とりあえずこういうの意識するってのが第一歩ということで。あとはダメでも気にしない。三日坊主でもそれはそれで効果ゼロってわけでもないんだし。という感じでやっていこうかな~

で、依存ということについてはもう少し思う所があったりします。

 

大体皆何かしら依存して生きているんじゃ・・?

これほんと、すんごい思ってるんだけど、実は世の大半の人たちは何かに依存して生きているんじゃあないのか。たまたま依存先がアルコールだったり薬物だったりすると病気だって診断されるけど、逆にワーカーホリックみたいな人も大勢いるわけじゃないですか。たまたま依存先がお金に結び付く行為だっただけであって、実はアル中・ヤク中の人たちと本質的には違いがあんまりないんじゃ?とか思うわけです。

言い方を変えれば「過度な熱中」とでも言ってもいいかもしれないけど。でもでも依存と正常に熱中することの線引きなんて難しいですしね。程度ではなく対象によって良し悪しを定義するのはしょうがないのかな。私もなんか金儲けにつながることにアホみたいにハマることができたらもう少し幸せなのかしら、なんて考えちゃいます。 でもそれはそれで承認欲求とかこじらせまくったら、下手したら今よりももっとつらくなったりしたり。

 

そんなことならんように、ぼちぼちと趣味の時間を楽しもう。せっかくだからTwitterとかはてぶのアイコンとか自作したいなあ。

いっそやる気のなさをアピールした方がいいのではないか問題

自分にしては珍しくここ数日連続でブログを更新しています。夏だから、頑張る。気分の波というのはあるものだし、そのうちまた全然更新しなくなるんでしょうけど。

さて、おととい面接でコテンパンにやられたときに一点だけ褒められたことがありまして、それが「正直さ」でした。うん、受かる気ゼロだったからオブラートで包み隠さずありの~ままの~姿見せただけ、なわけなんだけど。でもちょっと待てよと。これは自分にとってはけっこう大事なことなんじゃねえのかとも考えた次第です。

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               ありのままの自分

 

自分のやる気のなさ(働きたくない)を包み隠さず言うべき?

いやいや、まずはやる気をスイッチ入れてキラキラ光輝く意識高い人々のごとく、これからの動乱の時代を常在戦場の覚悟で生き抜くべきではないのかい?と問いかける自分の社畜精神もないことはないんですよ。実際やってみないと分からないことはたくさんあって、意外にがむしゃら猛烈社畜生活的なものが楽しくて楽しくてしょうがなくなる可能性もゼロではない、そこまでいかずとも善良な一市民として一般的な働き方できる程度には順応できちゃうかもしれない。多分普通の会社員生活くらいならば何のかんの言いながらイケちゃうと思います。でもせっかく現代日本人の就活戦線のレール的な部分から無事外れた生活送っているわけだし、ちょちょいと発想のコペルニクス的転換をしてみたかったりもするんです(コペルニクス的転換って使いたかっただけ)。そう、合わせるのがいやなら合う場所を見つけるorいっそのこと作ればいいじゃないというやつです。マリーアントワネットばりの発想をするのだ。

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「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」とは実際には言っていないとかなんとか。

 昨日も書いたけど相性の合う合わないは厳然としてある。これはもうしゃーない。

これは絶対あります。そのうえでもうちょい補足すると、人間関係にせよ職場の空気感にせよなんにせよ、100合う関係や場所なんてものはまずないですよね。仮に起業して自分好みの社風の会社作り上げたとしても、必ず嫌だなと思う場面はでてくるんでしょう。でもその程度の問題ってあるわけで、じゃああなたは80合う所と40しか合わない所と、どっちがいいですか?ってことで。この辺は個々人の目的によるのではないかと考えています。80合う所でまったりやりたい人もいれば40しか合わんがなんかそこでしかやれない!みたいなことがあって、その環境に適応するまで頑張るぞい!みたいな人もいるのかなあと。 なんか中国だかでは足に合った靴を探すのではなく靴に足を合わせるのだ!的なことを言う人達もいるみたいで、なんだか猛烈に働く現代中国らしいなと。でも私は80合う所で最初からまったりやりたいです。めんどくせえ。

 

そんなに理想的な職場なんざ早々見つかりっこないんでしょうけど、本心ではそれほどやる気ないですと言っても採用してもらえる場所があったらいいなあ。いやそんな事実際には言わないけどね、それに近いマインドを持った会社があればぜひとも入りたいもんだ。えてしてそういう変なところって、ヤバくてすぐつぶれるか、チートみたいな能力持った変人がゴロゴロいるかみたいな極端な感じだったりするのかなあ。

 

 なんかここ3日間「自己分析就活仕事」みたいなことばっかり書いたから飽きてきました、大したこと書いてないけど。次はもっと適当に日記っぽい事書くかあ

見事に面接落ちましたとさ、めでたしめでたし

昨日新バイトの面接だったわけですけど、もうね、ビックリするほどに気持ちよくその場で不採用でした。なんだろう、割と事前の予想通りというか(じゃあなんで面接行ったんだって?事前情報がほぼ無かったんだよおおおお!!)、正直自分のパーソナリティな部分と正反対な社風、ほとんど興味をそそられないサービス、面接官の人の妙に熱血なところとか諸々、面接してる途中で明日の夕飯どうしようかと考えるくらいには合わなかった。考えることは向こうも同じだったようで、その場で「今回は厳しいよね」的な締め方をされましたが正直ほっとした。だってあれだぜ、「男なら人生悔いなく生きねえとな!」とか「仕事は全力投球以外ないっしょ!」みたいな(ここまで露骨には言ってないけど)事平気で言うんすよ。もう無理。ぶっちゃけ事業もなんか穴だらけっちゅうか、いやでもそれ大手がやってないのはマジで色んな理由がありますよねとか(そもそも大手でも似たようなことを既にやっていてるところもあって、そこが本腰入れたら吹けば飛ぶのではないか)、正直頭打ち見えまくりの業界なのでは?みたいな色んな疑問が降ってきましたが、まあそれは流石に素人考えか。

 

なんかあれだ、今回の件ですごーく思い知ったことがある。

職場の合う合わないはマジでめちゃんこありまくる

ということですね。当たり前の事なんだけど、ほんっとーに大事だなと。多分ここまで180度合わない職場の面接に行くことってなかなかないんじゃ?なまじ業種的には一応内勤というか、デスクワークの募集だったんですけどね、行ってみたらあら不思議。パリピの集いでしたわ奥様~的な。

もう最初っから「アットホームな職場でーす!でも仕事はガチだぜえ、本気と書いてガチと読めるやつ、集え~、うぇーい!」的な文言を入れとけ!!!い・れ・と・け!!!募集要項も本気で書けよ!!そりゃこっちだって肉体労働だとか営業職だとか、体育会系っぽい匂いのする職場だとか、わかってりゃそもそも応募せんわ!いやもし応募するにしてもそれなりの準備してくわ!別に落とされたことにはなんとも思ってないけども、こっちの時間と金を返してくれ。無理だけどさ。あの募集文は改善した方がいいよマジで!その空気感を書いとけ!

 

という愚痴は置いておくにしてもですよ、本当に「相性」はあるなと。取り扱う商品・サービスにいかに興味があるのか、その社風に馴染み易いか否か、一緒に働く人と伴走できるのかそうでないかということですね。多様性とかなんとかいうけど、結局似た者同士で集まらなきゃ会社なんてやってらんないのではないんでしょうか。そりゃー多少は違いがあるけども、根本的な部分では似てなきゃきついんすよ。同じコミュニティーというか、同じ文化圏でなけりゃキツイ。人によってその辺の許容範囲は違うんでしょうけどね、多かれ少なかれ似た感じの人と一緒にいるでしょうよ。やっぱね無理なのは無理だこれ。人間追い込まれたら大抵どんな環境でもある程度は順応できるんだろうけど、この時代のこの国に中間層の家に生まれたらそんな根性ありませんって。もう生きていくのがかなりめんどくさい。

 

とりあえずまたぼちぼちとやっていきましょうか。なんか適当に生きていく道筋はないもんか。もう少しなんかこう、肩の力抜いていられる場所の方がいいな。自分にはその方があってるし。

悔しい

やっぱり俺はただのくそったれなんだと自覚する。高々月5万円でも収入が発生するようになってしまったのがいけなかったのか、最近は少したるんだ気持ちになってた。でも結局24にもなって自分の食い扶持を稼げていない、寄生虫のクソなんだってことを理解した。結局なんかにチャレンジしているぜ!みたいな自己満足なんてものはクソの役にも立たない。そのチャレンジで稼げるんならまだしも稼ぎにつながることもない意味の分からないことに手を出していったとしてもそんなことで今の環境から抜け出すきっかけにすらならない。もうあんまり時間なんてないんだと再認識した。自立できないとどんどんクソになっていく。ギリギリだ。。何でもいいから働けと(バイトなんかじゃなく「就職」という意味)、稼げと。それに対して俺は言う言葉を持っていない。ワガママ言ったっていいんだ、でも説得力なんて皆無だ。今年いっぱいはまだまだフラフラしてやるぜ!なんて言ってたけど、やっぱり就職すべきなんだろう。こんなくそっぷりがさらに磨かれていく毎日を漫然と過ごしていったところで、うんこ製造機に毛が生えたような人間にしかなれない。悔しい。何か言われても反抗するだけの気骨もない、わき目も振らず必死に取り組んでいけるだけの目標もない。実は近しいところに自分と少し似た境遇の人がいるけど(実家フリーターみたいな感じ)、その人は俺と違ってちゃんとした具体的な目標をもって日々を過ごしているようだ。きっと彼ならその目標を達成できるのだろう。俺は何もない。この年まで何してたんだろうか。働きたくないとか言って、ただなんもせず、目標もない、友達だってほとんどいない、金もない、仕事もない、特技もない・・・ないないない。苦しい。全部俺のせいだ。自分の人生に向き合ってこなかった報いってやつだ。でもそれはしょうがない。全部自己責任だ。

なんだか頭がおかしくなりそうな気分の時期だ、こういう気持ちになることが一年を通じて数回ある。たいてい外的な要因とかは関係なくて自然と自己嫌悪がひどくなるタイミングがある。そこに普段では気にも留めないような外的刺激によってさらに気が滅入るという最高にローってやつな気持ちになっていく、最も高いのにローテンション、何も面白くないな。こうやってできていく自己嫌悪スパイラル。終着駅は自殺ですか、いやそこまでではないけど。