ただの日記

日記帳

「嫌い」は「苦手」くらいにはなる。でもそれだけ

食べ物の好き嫌いがあまりない方だ。正確に言うとどうしても食べられない食べ物(口に含んだりにおいをかいだりするだけでおえってなっちゃう)を一つ一つ、つぶしてきた。小学校の給食で出てきたおからは、あのぱさぱさと独特の風味が苦手でマジで吐き出す5秒前な状態になりながらも、汁物というリーサルウェポンを使うことで残さず食べた。気づけば好きにはならなかったけど苦も無く食べられるようになった。なめこ汁に代表されるヌルヌルな食べ物も、体にいいからという自己暗示をかけ続けることでいつの間にかそこそこおいしく食べられるようになった。苦手意識があったものの多くは、食べてみたら大したことがなかったように思う。大人になるにつれて味覚が変化してきたというのも、あるのかもしれない。

 

でも苦手意識ではなく、本当に嫌いな食べ物はやはり好きになることは難しい。昔からどうにも貝類をあまりおいしく感じない。「普通」ではなく「苦手」だ。もともとは食べることもできなかったと思う。カキやホタテを食べて「おいしい~~~!」とか食レポしているのを見ても別にうらやましいとも思わない。むしろ生ガキとか食中毒が怖すぎるんだが、なんであれをパクパク食うことができるんだ…?

基本的に出された食事は体調が悪いとかでない限りは残さず食べる主義なので、食卓に貝類が降臨した時には黙々と食べてきた。でもいつまで経ってもおいしさは分からない。なんというかどうしても苦手なままだ。食べ続けていればいつかはおいしさに気付けると思っていたが、自分の味覚的にはこのくらいが限界のようだ。

 

嫌いなものが好きになるってのはほとんどないんじゃないか。自分が勝手に嫌いだと思ってただけの、苦手意識ぐらいなものであれば好きになることも結構あるだろう。それって何も向き合ってないんだから本来は好きも嫌いもないのだろうから。けれども何度か向き合ってみて、それでもやっぱり好きになれないものって、どうしても存在する。何度も貝を食ってきたけど、苦手なものは苦手だ。これはどうしようもない。

だから好き嫌いをするなっていう考えはちょっと変だと思う。好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌いだ。個人差があって当然。むしろ自分の好きや嫌いがはっきりしていた方が、嫌いなものはないけど熱中できる好きなものもあまりない、という人よりも断然生きやすいんじゃないのか。なにせ好きなこと、得意なことは伸ばそうと思えばいくらでも伸ばせる。それで稼ぐことだって、運が良ければできるかもしれない。逆に嫌いなことを頑張っても、ちょっと苦手だけどまあ人並み、ぐらいにしかならない。

 

だから好き嫌いを無くそう!ではなく、好き嫌いをハッキリさせよう!という考えでいた方が案外幸せになれるのかもなあ、とホタテを食って思った。やっぱ苦手だわ。

ポプテピピックと僕のヒーローアカデミア

2月も終わる。中旬から始めたアルバイトにも少しずつ慣れてきた。とにかく脱ニートの第一歩を踏み出すことができた一か月であった。次の一手だけど・・・うーん、あんまりやる気満々って感じではないなあ。ただこの状況で2番目にまずいのはなまじっか最低限の生活が保障されている分、実家でのフリーター生活で満足してしまうってことだ。(そういえばNHKにようこそ!でもこんなセリフがあった気がする)実際近くにそういう境遇の知り合いがいるけど、そうなると心理的になかなか抜け出すのが難しくなる。そうなる前にもう一歩前に進みたいもんだ。1番まずいのは当然ニートに戻る事、なんだけど仕事はなんだかんだ負荷が少ない(特に人間関係のストレスがほぼないのがいい)のでたぶんそれは回避できそうだ。

3月中に何か一つやろう、何でもいいから始めようと思う。

 

さてさて、どうでもいいことを思いついたので書いてみよう。現在絶賛放送中の大人気(クソ)アニメ、ポプテピピック。色んなパロディネタが超豪華ちらし寿司の具材のようにふんだんに盛り込まれているが、正直元ネタなんて半分以上はよくわからない。でも元ネタが分からなくとも、なんだかいいなあなんて思ったシーンがいくつかある。その中の一つがアニメ第一話、かのウルトラヒット作「君の名は」のパロディシーン。ピピ美(背の高い方)が「あんたの名は?」とポプ子(背の低い方)に語りかける。そのあと若干溜めてからの「俺は俺だああああ!」というポプ子の絶叫。なんだか心に響く。なんでこんな気持ちになったんだろう。

たぶんそれは「自分は自分、他人(ひと)は他人」という強烈な自己認識の力を感じ取ったからだろう。なにぶん大卒からのニートやらフリーターという、社会の一般的なレールからのドロップアウトなんて経験してしまうと、どうしても他人と自分を比較してしまいがちだ(その結果が自己嫌悪であったとしても)。でもこんなことをする意味はない。「俺は俺」なんだから自分と他人を比較したって意味なんてないのだ。これは決してきれいごとを言っているのではなくて、比較する対象が違う、という至極現実的なことを言っているのだ。そもそも自分と他人ではどんな似通った性質をもった人間であっても、やはり違う存在だ。一定の条件も事前に用意して、その評価軸の中で比較するのであれば、確かに比べる意味もあるのかもしれない。でも究極的に等身大の自己と比較する対象っていうのは、やはり過去や未来の自分自身でしかないんだと思う。

なんだろう、このことを単なる理屈だけではなく、何というか心でストンと腑に落ちる形で納得できるかどうかというのは結構大切なことかもしれないなと思う。他人と比較しても前提条件が大きく違っていたら、劣る部分がいっぱい目に付く事も多いだろうから、きっと苦しい。そんなことしても現実の自分はちっとも変わらないんだし、むしろ気持ちがダウナーな坂を転がり落ちていってしまう。それよりも昨日の自分と比べて前に進んだのか、未来の理想の自分と比べて少しでも近づいて行っているのか、それを考えたら必要以上に落ち込まなくって良い。

 

で、こんな感じの事を考えていたらなぜか週刊少年ジャンプの人気漫画「僕のヒーローアカデミア」を思い出した。俺の脳みそはどうなってるんだ。これもちょっと考えてみよう。おそらく「自分は自分」という強い自己認識、という部分から連想したんだろうが、それはどの部分か。思いついたのは作中に出てくる主人公の師匠的存在、オールマイトだ。あとはその能力である「ワンフォーオール」。この辺かな。

とにかくこのオールマイトは筋骨隆々で笑顔が素敵なパワフルナイスガイだ。この人物、みんなの絶対的なヒーローなわけだけど、市民のピンチの場に駆け付けた登場のシーンで必ずこう言うわけだ。「私が来た!」と。色んな目的があるんだろうけど、やっぱり強烈に自分が確立できているからこその「わたし」なんだろうな。ほかの誰でもない自分がいる。そういう気持ちの上で発せられるからこその重みがあるんだ。この自己認識がしっかりできているからこその彼の能力「ワンフォーオール」があるのだろう。これは単純に身体能力がアップする的な、まあシンプルに強いタイプの超能力なわけだけど、だからこそシンプルに強くって作中では最強クラスの力を発揮できる。対して弟子である主人公はまだまだこれを使いこなせていない。ストーリー上色々な理由が見えてくる。一番大きな原因はやっぱり肉体的な部分なんだろうけど。でも心の面でいえばこの「俺は俺だ」っていう意識がまだまだ確立できていないっていうのは大きいんじゃなかろうか。まだ高校1年生?くらいだししょうがないけどさ。まあとにかくこんな感じで思ったのが一つ。

で、もう一つ連想したのが「ワンフォーオール」という言葉。正確にはone for all, all for oneかな。これはもともとラグビーの言葉だったみたいだ。高校のころ友達がラグビー部に入っていて、この言葉の意味を教えてくれたことがあった。曰く「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」だそうだ。個々の個体は全体(社会・会社・組織など)のために力を発揮、団結する、そうして形成された集団・組織がある一つの大きな目標達成のために行動する、といったところだろうか。当然だけどこれの一番最初にあるのは個人だ。「俺は俺」だからこそ、異なる他者と協力して大きな集団を作ることができる。まず大事なのは自分だ。自分がはっきりしない、自分が分からない、本当の意味で自立ができない、こういう人が果たして本当に「ワンフォーオール」ができるだろうか。べつに特別なことをする必要はなくてありのままの自分を認識すること、いいところもダメなところも受け入れること、こういうのが社会を形作る第一歩なんだろう。

 

ということで3月もぼちぼち「自分」らしくやっていこう。

自分用メモ 実家フリーターの税金

とにかくバイト初週が終わって週末はのんびりしてた。やっぱり思った以上に体力なくなっていたのか、単に緊張してたのかわからないけど、なんだかんだで疲れた。ただやっぱり助走期間というかこういう「引きこもりニート→フリーター」に移行する選択は間違ってなかったなあと強く実感した。いきなり就活して目指せ正社員!とかしなくてよかった、これは体がもたんわ。

 

さて、何やらいろいろと収入の壁がある上に2018年からは配偶者控除の改定があったりでややこしかったので、自分用にメモを取っておく。もう一回調べるのは面倒だし。今の調子なら103万の壁すら超えないだろうし、今後もあんまりバイト入れまくってどうのこうの、という予定は(今のところ)ないので大丈夫だとは思うけど。

freeterlegend.com

情報的には少し古いような感じだけど、最近の大きな変更点は基本的に配偶者控除についてなのでこの辺を参考にした。

で、結論から言うと実家暮らしのフリーターの場合、意識すべきは

  1. 103万の壁(所得税・親の扶養控除)
  2. 106万【条件有】・130万【条件無】の壁(社会保険・自分が扶養から外れる)

住民税の壁とかもあるみたいだけど、それは別にいいか。

 

とにかく意識すべき最大の壁は103万、所得税の壁・親の扶養控除の壁。所得税がかかったり自分を扶養している人の支払い税額が増えてしまう、フリーターとしてこれを超えるように働くのか超えないようにするのかだけをまずは考えよう。俺の場合フリーターでいるのは今年限りと決めているし、本格的に稼ぎたくなったら就職して、正社員として収入の壁とか気にしないでがっつり稼ぐのが一番手っ取り早いだろう。たぶん今年中か遅くとも来年初めには再就職に向けて動いているだろうし。てなわけで、この壁を超えることはなさそうなので、これにて終了です。

 

でももしかしたらずっと就職できないかもしれない。その場合はもっと稼ぐ必要が出てくるかもしれないわけで、その時はどこを意識すべきか。今度は社会保険の壁である106万(条件を満たしていればこのラインで社会保険料を納める必要が出てくる)または130万(条件なし、これ以上の稼ぎは無条件で社会保険料を納める必要あり)になるのか。とにかくこの壁を超えた場合は160万くらいを超えて稼がないと実質的な手取りが減るのね・・・世知辛いなあ。

店長になれと言われて

さっきまで屋根の上の雪下ろしをしていた。いやになるくらい降ったのにまだ雪が降りやがるもんだからもうさすがに疲れて疲れて、働いてないというのにこの疲労。ぶっちゃけフルタイムで働きながらこの雪の中で毎日出勤してる人たちはすべからく超人なんじゃないかと思う。今週からバイトが始まるわけだけど、まあなんとか落ち着くといいなあ。

 

んで雪下ろししているときに父と祖母が会話しているのが聞こえてきた。何やら俺の仕事について話しているらしい。あんまり詳しくは聞き取れなかったけど、どうも祖母はラジオだかテレビだかでなんかの店の店長の募集をしているのを聞いたみたい。なるほどね、店長か!ハイハイ。まあいい年した孫が8か月くらいも働きもせず家でゴロゴロしてりゃ心配もするわなー。正直最近本当に自分が早く自立しなきゃいけないんだと強く感じるようになってきた。世間体がどうとかいう事ではなくて(実際そういう気持ちも決してゼロではないけど)、親の老化を何かと事あるごとに実感するので、俺が稼げるようにならないとヤバいなあという感じで危機感をビシビシ感じるわけだ。それに金を自分で稼げないならばやっぱり何かを主張しようとしてもあまりにも説得力がない。だからまあ、祖母が俺の事を気遣って店長の募集をしていたことを言ってくれること自体はありがたい。ちょっとうざったい気持ちもあるけどそれを言うだけのカネ・仕事という実績を積んでこなかったので、こうやって仕事の紹介をしてくれることに関して俺が何か偉そうにいう事はできない。

 

でもちょっと待ってほしい。今の俺が店長になれるとお思いか?大した社会経験も積んでないクソニート、ようやく半ニート、半フリーターになりかけの俺が。はっきり言って無謀ですやん。何の店の店長かは知らんけど、店長ってのは店を代表して統括する立場ってことでしょ。確かに新卒1年目で何かのお店の店長になる人もいるでしょう。でもそういう人は基本望んでいくわけだよね。多少苦しくても耐えられる下地があるんだと思う。それでもダメな人もいるだろうに。少なくとも最近になってようやく「ああ、働かなきゃならんなあ」とか思っている俺なんぞがやれる業務内容とは到底思えない。

 

ぶっちゃけまず店長なんてのは体力がないと、とてもじゃないがやってけないのではないか。ばあちゃん、残念だったな。8か月もニートしてたやつで、何か特別運動してたわけでもない人間は体力が想像以上に落ちてるんだよ。まずこの時点でいきなり店の代表になれと言われても、下手すりゃ1週間で失踪する自信がある。いくら研修受けようとたぶん無理だわよ。

後は何故店長なのか。人手不足のこのご時世、人員が足らなくて接客業のお店では少ない人数で何とかやりくりしてヒイヒイ言って働きまくっているのだろう。友達のフリーターもかなり忙しそうにしてますよ。俺自身、まずそういう現場でバイトとして働いて資金を溜めるとか、社会復帰の一歩目(もう二歩目か)として利用するとかなら、アリだ。そういう「続く努力」ならば大歓迎なんだけど、いきなり店長採用されて馬車馬のごとくバリバリ働くような「続かない無茶」は自分はできない人種なんだと思う。これもワガママなんだろうが、ワガママ言えるうちは言ってやる。

 

ただ祖母の反応、これが世間からの俺への評価なんだろう。何でもいいからはよ働け!というやつだ。こう考えると両親はかなーり自分に気を遣って接してくれているんだなあ。とにかく月5万でのバイトはしながら次の一手をぎゃんぎゃん打ち出していかないといけない。それほどのんびりしている時間はないのかもなあ。ま、あんまり無茶をしすぎないように、深く考えすぎずに行動しまくろう。

24歳引きこもりニートがフリーターに進化した

unityのゲーム作りなんだけど一応は2Dアクションゲームの基本操作のところまでできた。といっても適当に床を設置してあとはPlayerを左右に動かすのとジャンプさせるっていうだけ。本当は制作過程をunityroomというunityのゲーム公開サイトにアップしてリンクをこのブログに貼って備忘録にしようかと思ったんだけど、なぜかエラーが出て起動ができず。windows用の形式にしたやつならちゃんと動いたんだが、サイトにアップデートするためのWebGLという形式に変換したらなぜか起動しない。まあいいか。なかなかいい暇つぶしになるし、試行錯誤するのが結構面白いわけだし。左右の移動は割とすぐにできたけどもジャンプがなかなか難しい。新しいことへの挑戦なんてものはなんだか久しくやってなかったけど、やっぱり学ぶっていうのは面白いもんだ。

 

さて、おとといの面接の結果が昨日メールで届いた。2月の中旬あたりからバイトが始まることになったので、これにて約8か月間のニート生活からの脱却に成功だ。週4か週5かで迷ったけど、まずは社会復帰というかお外に出て労働に従事することになれることを優先するために週4からのスタートにした。最初は2週間ほどの研修の後、本格的にバイト業務が始まるみたい。なので実際には3月からちゃんとしたフリーターということになるのかな。ま、ここから本当の意味での社会人とやらになるまでが厳しいというか、長い戦いになりそうなわけだけど。

 

今年いっぱいは正社員を目ざした就職活動は実はあんまりやる気がない。2017年の3月に大学を卒業したので来年2019年中ならば第2新卒というくくりになるからだ。今年中に焦って何としても正社員になるぞ!と意気込むとたぶん自分の性格上またもや失敗しそうな気がするんだ。実際最初の就職もあんまりやる気ない中で無理やり見つけたところだったので、どうしても身が入らなかった。俺みたいに仕事へのモチベーションが高くない奴はむしろ会社選びで妥協しない方がいいのかもしれない。よっぽど経済的に追い詰められてるとか、親との仲がよろしくないとかであれば、えり好みせずにまずは自立、「とりあえず就職」でいいと思う。そういう状況であれば、たぶん俺みたいなやつでも四の五の言わずに正社員になって働くだろう。でもなんだかんだで経済的な基盤はあるし、家族との仲が悪くはない(むしろかなり温かい目で見てもらっているぬくぬくした環境だ)。だからこそ「納得」ができていない状態での仕事はたぶんまた長続きはしないだろう。そんな風になってジョブホッパーというやつになってしまったら、むしろ状況が悪化する。そうなるくらいならば、1年くらいはフラフラとしてみようかと思う。自分が若く、親がまだ元気な今だからこそ仕事について「納得」したうえで向き合いたいしね。年取ってからでもやれなくはないだろうけど、今のうちにフラフラしとけばその方がリスクは低いんじゃないかなあ。30,40過ぎたあたりで初めて「あれ、俺何のためにこんなに働いてんの?」みたいな事態に陥るよりかはかえって経済的なのではなかろうか。

 

 

とにかく今年一年はフリーターとしてフラフラして色々経験値を溜めよう。

頭がいいとか言われるとキツイ

今日バイトの面接があった。ほんとはおとといの予定だったけどあんまり天気が悪くて電車が止まりまくってたので今日にしてもらった。なんだか簡単な計算問題とかexcelの基本操作とかやってテキトーに面談して終わり。意外と緊張せずに終わり。聞くところによるとマジで単純なデータの入力だけで、実際に資料を作成することはまずないらしい。そりゃそうか。落ちてなきゃいいけど。

 

あとブログだからなんか真面目に丁寧語で書いてたけど、別に誰かのためにやってることでもないので普通に日記としてかこう。誤字脱字も、まあいいか。毎日じゃなくていいけどその日あったことを振り返って書くだけでもなんだかいい脳トレになる、ような気がするし。

 

 

昨日ちょっと?というか一回り以上年上の知り合いに「今年はやりたいことを見つけるためにフリーターでもしながら、1年くらいはフラフラする予定です。まあたぶんそのうち就職すると思いますけどね。やりたことなんて見つからないかもだし」的なことを言った。そしたら「そうなんだ!大丈夫!○○君ならできるよ!君は頭がいいからあとは悩まずにとにかく行動出来たらいけるぜえ!あきらめんなよ!!応援してるぜ!!」みたいなことをものすごい熱いテンションで言われた。その人は何というかあんまりお勉強ができるようなタイプではないけど、モチベーションが高くてやたらと行動力がある。なんか営業部長みたいな役職やりながらも労組?の委員もやってさらには地域活動にも参加できるときは参加して、みたいな人だ。たぶんその人のやる気の半分、それか3分の1くらいでもあれば俺の人生はもうちょっと良くなるのかもしれない。実際話していても嫌悪感みたいなものはあまり感じないし、まあ暑苦しい以外は結構いい人だなと思う。

 

それは別にいいんだけどその人と話していた時に何度か「○○君は頭がいいから~」「○○君は基礎能力が高いから~」のようなことを何度か言われた。これは俺の人生で何度か言われてきたような言葉だ。別に他人にどう思われようが割とどうでもいいと思って生きているけど、頭がいいと言われるのかどうにもきつい。事実として学校のテスト勉強的なことは、まあ割とよくできた方だとは思う。でもそれは人一倍勉強時間を確保していたからであって、自頭というか本当の意味での頭の良さではないと実感している。大体高校の時なんか、ちょっとした進学校に通ってたんだけど、文武両道なやつらを見ていると劣等感を感じまくりだった。こちとらほぼ帰宅部みたいなやる気のない文科系の部活で、その代わり毎日ちゃんと勉強もして、テスト前はそれはもう詰め込み詰め込みだった。だけどふたを開けてみたら俺より確実に勉強時間の少ない、日ごろ部活に打ち込んで青春を謳歌しているやつが「やべーほぼ無勉(勉強してない)だったけど80点だったわ~」とかほざいていた。その点数を70点の俺によこせ。

 

今となっては別段そんなことで人生の価値が全部決まるなんて思っちゃいないし、そういう人らにはそういう人らでいろんな悩みがあったんだろうと思う。でもそういう経験や大学に入ってマジモンの天才というか才能のある人たち(個人的には成長が早い早熟タイプというよりも凡人には信じられないくらい一つの事に打ち込み続けることができる人の事を天才だと思ってる)やら本当に勤勉な人たちを見てきたから、自分は単にちょっと努力が継続できるだけの普通のやつだと認識している。だから頭がいいといわれても上には上がいることを知っているので、相対的に割と普通な方だと思っている自分からすると違和感を感じる。というかむずがゆい。嬉しいっちゃ嬉しいんだけど、でもホントはそんなことよりももっと人格的な部分で評価してほしい。その方が素直に喜べる。

 

 

でもよくよく考えたら人格的にほめるとこがないくそ野郎だから頭がいいくらいしか言えないのかもしれない。

誰かに養ってもらうことについて思うこと

昨日の今日ですが、さっそく明日の14:00からバイト面接の連絡をもらいました。簡単なデータ入力のバイトで電話対応もなし、その分時給はあんまりお高くはないですが・・・

長期(3か月以上)という条件なので決まるといいなあ。いったん引きこもりニートという状況から脱出しておきたいので、単発とか短期のバイトではない方がありがたいんですよね。ある程度定期的に社会とのつながりが意識できる時間があると、精神的にも「脱ニート」できたんだと実感できて安定するでしょうし。希望通りの条件で採用になれば月5万くらいの収入にはなるので、社会復帰の次のステップにもつながるかな。

  

 

というか私の場合、親に明確な借金があるんで、とにかく稼がないとなんですよねえ。母が以前、経理事務所に勤めていたことがあってお金の事には敏感なんですが、なんと毎月の貸付金を通帳にきっちり記載していやがりました。マジですか、あいまいみーまいんにはしてもらえませんか?まあまあそのためにも金を稼がないといけないです。いや成人して大学も卒業させてもらった大人なら当たり前ですけども。

 

大学卒業までの養育費なんかに関してはさすがにあれですが、卒業してからの生活費とか諸々、ほぼ全部親任せなんです。特に毎月の携帯料金とか保険料とか、それから最初の就職が決まってから購入してもらった中古の車代なんかは一円たりとも返済できてないっていう。その会社2か月で辞めちゃったけどな!もう完全にくそ野郎なんだよなあ・・・

 

で、溜まりに溜まった借金の合計が

121,009 + 590,000 = 711,009円!

・・・これ実家暮らしで食費なんかの生活費は含めないで、ですからね。もしその辺加味すると確実に100万超えてます。ま、59万が車代(保険やら税金やら諸々込み)なのでほぼ車代なんですが。一応駐車場代やガソリン代、車体の維持管理費用は大学時代から貯めたお金や2か月働いた分のお給料から出してますけど、それもニートのままでいたらいつかは全部親任せになっちゃいますからね。

 

 

 

このことについてちょっと思うんですが、ニートや引きこもりに代表される働いていない無収入の人間が一番引け目を感じるのって、やっぱり「カネ」についてだと思うんです。養ってもらっている情けなさというか。

「自分は何もしていないのに誰か(多くの場合は親)に生かしてもらっている、申し訳ない」

「今の自分には何の価値もないんだから早く働いて社会人として自立しなきゃ!」

それが行き過ぎると

「生きている価値がない自分は早く死んだ方がいい、その方が世の中のためになる」

みたいなところまで行っちゃうんじゃないかなと。正直言って私の場合も現在進行形で親に対して申し訳ない気持ちはあります。特に去年の秋ごろは一番ひどかったかもしれません。でも今はむしろ感謝の感情の方が大きくなったような気がします。このことがものすごく精神衛生上、いい働きをしてくれているんですよ。

 

ここでいう申し訳なさはめちゃくちゃネガティブな感情です。この気持ちと早く就職しないといけないという焦りの感情がハイブリッドされてしまうと、もう半端じゃないくらい落ち込みます。夜も眠れないくらい不安になる。

そうして何もしていないのになんだか気疲れしてしまう。将来の事を考えて不安になるって、スゲー疲れるんですよ。そしてその疲れをとるためにまた横になってごろごろして、体力回復させる。ちょっと回復したから何かやろうか、ってなったとしてもネガティブな感情のせいでまた気持ちが落ち込んで、何もする気がなくなって。何もできていないと将来が不安になって・・・・という最悪のループです。

 

で、こういう時に一番いいのはとにかく何でもいいので行動する・外に出て何かするってことだと思いますが、それすらする気力がないときには、なるべく頭空っぽにしてボーっとする事ができればいいのかなと思います。本当の意味で「なにもしない」をすると案外気力がわいてくる気がします。というか私の場合はそうだったので。「なにもしない」をするってかなりいいですよ!現代じゃなかなか難しいけども。

 

でもどうしてもネガティブなことを考えてしまう場合、今の自分の状況をむしろポジティブな方向に転換して捉えてみるのも一つの手段かもしれません。

例えば、親に自分の生活費諸々を出して養ってもらっている・親のすねをかじってしまっているという状況について、これは自分という人間に先行投資してもらっているんだと考えてみる。自分が自立するための時間を捻出するために投資をしてもらっているのだと。まあこれも私が自分を納得させるためにした考え方の転換なので効果がどれほどあるのかわかりませんけど、少なくともネガティブな考えのループに居続けるよりかはマシかなと。

 

 

何が書きたいのかわけわからなくなってきた・・・

要は人生持ちつ持たれつなんだし、甘えられるのであればガンガン甘えていいよと。だからあんまり後ろめたさというか申し訳なさみたいな気持ちをこじらせないようにした方が、実は結果的にいい方向に物事進んでいくんじゃないかということです。

誰かに助けてもらったらその分誰かを助けてあげりゃいい。そういう「当たり前」の事を半年以上の時間をかけてようやく気付けたので、忘れないようにしたいです。

という日記です。

 

 

 

 

ああああ、マジで明日の面接緊張しまくりじゃあああ!!!